ポケティ「三人芝居」を振り返る

昨年11月に上演したポケティプロジェクト「三人芝居」について
このブログに何も書いてなかったので、今更ながら書く。

私としては、とても面白い作品ができたと考えている。
役者として一番ダメだったのは私だけれども。

公演にあたって、諸岡、宮田と3人で決めたことがある。

「がんばらない」
「無理をしない」
「完成を目指さない」

これらの言葉はそのまま、作品にも登場することになるのだが、
昔のようには時間も体力も無くなったアラフォー女たちが
それでも芝居を続けていくにはどうすればいいのか、
そのことを第一に考えて創作活動を行った。
もう昔のように0時過ぎてまで稽古はできないって。

各自の生活や体力の負担にならないようにというと
「甘い」と言われるかもしれないが、
「むしろ今まで自分に厳しすぎたんだよっ」と開き直った。

しかし、この目標が、意外にも観てくださった方に響いたようだ。
そうか、がんばらなくていいんだよね、と何人もの方から声をかけてもらった。
そうだよ。がんばらなくていいんだよ!!!
思いがけずメッセージ性を帯びたようで儲けたね、というかんじだったけれども。

あと、観た方にしかわからないが、ああいう演技スタイルをとったのにも
ちゃんとした理由がある。

短時間でつくる、といえども、やっぱりちゃんとした「演劇」をつくりたかった。
「演劇的であるとはどういうことか」について考えるものにしたかった。
その結果があれです。説明になってない?(笑)

演劇的な作品をつくるためには、そのために訓練された、
あるいは、それだけの力量のある役者が必要だと考えている。
しかし、私たちは10年近く、発声練習ひとつしていない。
それでも演劇的な作品をつくりたい。

あのスタイルは、言わば「ズル」をしたわけだ。
訓練のしていない身体で演劇的な作品をつくるには、
あの方法があの時はベストだった。
また使えるとは思っていない(笑)

ポケティで芝居をつくるのは10年ぶり、
3人で芝居をつくるのは17年ぶり(!)だったのだが
それでも短い時間でもなんとかなったのは、
諸岡と宮田とは常にメールやLINEで
「最近おもしろかったもの(こと)」を共有していたからだと思う。
共通言語が失われていなかったのだ。
ちなみに、このとき話題に出た面白かったものは
「山田孝之のカンヌ映画祭」だったんだけどね。

番外になるけど、植田のボケっぷりが良かったとの声を多く頂いた。
某師匠からも「ボケ役者を続けるべきだ」との言葉を頂いた。
ありがたいのかありがたくないのか判断しにくいが。

役者を続けるかどうかはわからない。
ただ、元々ポケティでは演出希望だったのだが、
演出をやることはもう無いと思う。
それよりは自分が出た方が早い、という感覚。
自分が一番良い役者だというわけではなくて。

また突然何か思いついたらやります(笑)

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